アヴァン・ミッドナイト博徒
『緋牡丹博徒』おんなの〜♪ おん〜な〜の〜♪。で、お馴染み、藤純子渾身の博徒シリーズ第一作目。このかっこよさは今の「てっぱん」などで魅せるおばあちゃんの場合も変わってないな。/『ココ・アヴァン・シャネル』ココ、ココ、ココって呼ばないで。これより後年のNo.5誕生秘話というトピックを持ったヤン・クーネン版と較べると、はやり女性スタッフ陣の想いが強く反映されている気がする。こっち先に見た方がよかったかも。/『フィリップ、きみを愛してる!』類型するとクレイジー・ラブものである。クレイジーラブx詐欺ストーリーであり、詐欺のストーリーには必ずと言っていいほど、詐欺をはたらきながらも切実な「求愛」の導線が引かれている。劇中の詐欺の手口はほんとうにそんなものにひっかかった人々がいるのだろうかと首をかしげるものばかりだが、詐欺ってそんなもんかもしれない。IQ164という生まれながらの「うそつき」本人を獄中取材したという原作を読んでみたい。ジム・キャリーとユアン・マクレガーのナイスカップル・イン。/『ラウンド・ミッドナイト』こう余震が続くとゆったり浸りたくなるものでジャズと虚実ない交ぜなオマージュ映画の傑作に浸かってつかの間の安堵を得るのです。パウエルのパリ遠征をベースに練り上げられた洒脱な構成もさることながら、ひたむきなジャズへの愛情を隠さないデザイナー(実際にパウエルのパリを援助した人もこういう人だったとか)の献身っぷりに呆れるほど惚れる。デクスター・ゴードンの煩悶するミュージシャンっぷりが演技を越えて素を感じさせることも相まって虚実の皮膜を通り抜ける映画を作り上げていることにただただ驚愕する。そういえばベルトラン・タヴェルニエの他の作品に覚えがない。これを機会に見返してみたい。
愛のキャタピラー社長
『愛のお荷物』厚生大臣として人口増加と公序良俗を縦に、人口抑制の法案通すべくいかにも政治家らしい言い分を振りまく新木錠三郎の家族の間で、次から次へと妊娠騒動が巻き起こる。理解を示しつつも内心政治的保身からか事を荒げず中絶させようとする錠三郎の思惑に反して、事態は転がり錠三郎の過去からも隠し子が飛び出す。常識とコントロールの通用しないこの世で人が思惑を駆使しながらも生まれるもんは生まれるんだといわんばかりのスラプスティックハッピーエンド。さらっとしか登場しないのに妙に存在感を示す小沢先生はさすがだ。フランキー堺のボンボンドラマーっぷりに、なぜかデヴィット・リンチxヘルツォークの『My Son, My Son, What Have Ye Done』を思い出す。/『お嬢さん社長』浅草下町の人情はみえるものの、美空ひばりをフューチャーしすぎて話の骨子は弱い。/『キャタピラー』お国のためって怖いよね?。やはり『芋虫』は設定を借りただけだったか。世評通り寺嶋しのぶを楽しむ反戦作品だ。
実録・笑う合い言葉
『笑う警官』半地下のレンガ壁のバーに、バーボンのボトルがぼけみで並び、葉巻は煙を燻らせ、物憂い顔してサックスを吹く警官・・・。笑うしかないだろうに笑えもしない。春樹御大のスケールがでかすぎて見えてないのだろうか・・・。/『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』市川崑渾身のスクリューボールコメディということだけど巧妙に組み立てられているはずのその頃の「現在」感を出すための感情を殺し気味なスピーディーなやりとりに乗れない。新旧の価値観の対比がテーマになっているけども今観ると骨に身がついてない印象だった。/『実録・私設銀座警察』FLナパーム氏に呼び出された流れで家族が租界しているNKさん宅になだれ込み深夜の安藤昇ナイトに紛れ込む。昭和21年終戦直後、脱走兵として帰還した渡会を待っていたのは、米兵相手のパンスケと化し無表情に股を開く女房の姿だった。床の脇には黒人兵との間にできた赤ん坊が泣いている。激情した渡会は、赤ん坊をドブに放り投げ、女房を殴り殺す。そんなファーストシーンから始まる映画が尋常なはずがない。転がり込んだ愚連隊のアジトであっという間にシャブ漬けの鉄砲玉に仕立て上げられ、終始転がり落ち続ける渡会を演じているのは若き日の渡瀬恒彦である。過剰な暴力に彩られる本作が“安藤昇もの”として未だにカルトファンが絶えない理由は、何もその過剰な描写だけではなく“愚連隊/やくざ映画”としての完成度も同年の『仁義なき戦い』に引けをとらない展開の妙をもってして一切飽きさせない。観るのは二度目だが二度とも状態の悪いVHSソースなので是非ともリマスター版が観てみたいが、過激過ぎるが故にそれは無理というものか・・・。
わがしとやかなシングルパラダイス
『シングルマン』トム・フォード初監督。さすがに抑制の効いた演出でゲイのおっさんの狂おしい愛を抑えめのユーモアと共にしっとり描いている。/『洲崎パラダイス 赤信号』どうしようもない腐れ縁が横たわるどん底の状況の中で飄々と生きる潔さが心地よい。新珠三千代は『風船』の時とは反対に欲望に忠実に生きる女の姿を演じる。これもいい。/『わが町』これぞオダサク印といった大阪下町人情劇。逢坂天王寺の名物男、ペンゲットのターやんこと佐田島他吉の生涯である。情が深すぎてコントロール不能なおっさんは映画でみるとなんとも味わい深くドラマティックなんだけど、側にいると困る。この頃のプラネタリウムの星はほんとにイミテーションでいいな。/『しとやかな獣』新藤兼人大先生がウッディ・アレン並の(は失礼か)洒脱な機関銃トークで彩る傑作ブラックコメディ。二度目になるがとにかく見所が満載で何度見ても発見がある。思わずシナリオを読み返してみた。「物事をむきだしにしてはいけません」という母の科白の通り、父と母のいうことにはいちいち含みがあるわけだが、時折感情を垣間見せる父と違い、母はいっさい己の内面を見せようとしない。悲劇の後、ソファーで呑気に眠りこけてしまった夫を見返す表情だけが母の内面が垣間見える諦観の瞬間である。
近頃なぜか森の野ばら
『近頃なぜかチャールストン』(1981)喜八節反戦イズムの中で最も素っ頓狂な面持ちの本作はやっぱり利重剛の仕業だったのね。このノリの系譜っていまは何処にいってしまったのだろう。/『ブンミおじさんの森』あの森に還りたい。行ったことないけど。土地の記憶を巡るアートプロジェクトの一貫ということで、ラストの方の若い兵士達の写真パートについてはパンフを読むまでわけがわからなかったけれど・・・。扱っているテーマは死と輪廻と記憶であるから浮かび上がるのは生である。二部構成三部作を終え、転生/変容というテーマが地続きに用いられ、認識の枠を緩やかに溶かしてくれる。発端はタイ東北部の僧院長が編んだ「前世を思い出せる男」という小冊子からはじまったらしく、通底している世界観に「唯識」(タイの上座部仏教は日本で馴染みのある大乗仏教とはかなり違いがあるらしいけれど)を感じるのは必然ともいえようが、唯識から導き出される選択肢の中で極めてポジティブな方向への可能性を開いていると言える。カンヌ審査委員長だったティム・バートンにとっては至極のファンダジーだったようだけど、不可思議なエスタブリッシュメントが発生しそうな懸念はある。好きだけどね。/『パーマネント野ばら』原作の高知のおばちゃんバイタリティーを存分に消化したあと、「不在の実存」(雑言だけどね)の重みをどう伝えるのかが肝なわけだけど、組み合って終わったような気もするね。
世界・オン・ザ・風船
『マン・オン・ザ・ワイヤー』成功するとわかっていても達成したときの高揚感はしっかり伝わってきた。当事者達のインタビューと再現フィルムと記録フィルム(練習風景よく撮ってたな・・・)編集の妙。あり得ない光景を見てしまった後の警官の表情が起こったことのインパクトを物語っていたかも。/『風船』(1965) 原作:大佛次郎(「鞍馬天狗」)脚色は川島雄三x今村昌平。久美子(新珠三千代)の透明感半端ない。ミキ子(北原三枝)のガールっぷりにいちいち吹き出し、珠子(芦川いづみ)の絵に戦慄する・・・。ラストが異様な盛り上がり音楽なおかげでほとんど親子愛をこえたものすら想起してしまうのは勘違いだろう。その後、今村映画が受け継ぐ重喜劇の片鱗を垣間見た。関係ないんだろうけど、森雅之扮する父親の役名が“村上春樹”なのも含めていとおかし。/『君と僕の虹色の世界』(2005) ミランダ・ジュライ。アート作家らしく、フィッシュリ&ヴァイスの作品をパロッたりギャラリーオーナーへのいたずらな目線が楽しかったりする。日常の視点をずらすという通底した手法。
ソーシャル・ウォール・オン・ザ・ランの彼方に叙景
『ソーシャルネットワーク』フィンチャー自身が「これはジョン・ヒューズが撮った『市民ケーン』だ」っていってるらしいから、まぁそういうことなんだろうけども、現代を映し出す人物像として、ザッカーバーグを思いっきりアスペルガー症候群なやつってことでデフォルメして括ったおかげで分かり易くなったのかもしれないがちと不満。SNSブームで今なにが起ころうとしているかについては渦中であるから書けないだろうけども、普遍性を導き出すと成功者の孤独の構造ということで王道に挑んだということか。技術的なチャレンジを前面に出すことなく忍び込ませる技は圧巻。/『ウォール・ストリート』眩暈を起こしそうなほど酷い結末だけど、強靱なゲッコーカムバックってことで楽しみました。オリバー・ストーンが十八番の親子の確執を初めて親の側から描いたということで。/『ボーイズ・オン・ザ・ラン』なんかもう、この「今?」っぽい純度って食傷気味。/『悲しみは空の彼方に』(1959)原題「Imitation of Life」は直訳すれば『人生の模倣』である。これでもかと濃ゆい。サークの演出は差別や格差を含み葛藤もこみで共存している世界観を描く。そこに悲劇であれ現実の規範となりそうな価値観が提示されていることが特徴的であるが、どうもその枷が正確に嵌りすぎていると教条が先だって映画的感動にいたらない。(もちろん、この時代にこの表現というのは、いま見えるものとはまったく違った挑戦があったはずだが・・・)テクニカラーの幸福に包まれてファンファーレで昇天。/『海炭市叙景』流れている複数の物語が繋がる瞬間まで我々はただ叙景をみている。それらの時間がひとつの世界であることを知った今も、やはり叙景の中にいる。失い、壊れてしまったかのように見える関係性の連鎖から再生の兆しを提示するのは容易ではない。
ヤギと祈りと北京と壁と
『ヤギと男と男と壁と』千原ジュニアに邦題タイトルをつけてもらったという配給の采配はあたったのかどうか・・・。原案『実録・アメリカ超能力部隊』は翻訳前から話題に上がっていて気になっていた一本。脚本ピーター・ストローハンは、D.フィンチャーと組んで『セカンドライフを読む』も映画化しているらしく、「実録」ものをエンタメに仕上げるのが旨いらしい。Boston “More than feeling”のエンディングがこんなさわやかに響く話もいいもんだ。/『父の祈りを』(1993)(In the Name of The Father)ピート・ポスルスウェイト追悼。賛辞として「味」があるというのはこういう人の為にあるんだろう。/『北京の自転車』ジャ・ジャンクーと共に第六世代として伝えられるワン・シャオシュアイ監督ですが、日本で公開される機会が少なくやっと観ることになる。北京版『自転車泥棒』とも、青春残酷物語ともいえようが、丁寧さとまっすぐさがひたひたと伝わる。ATG期の良作を思わせるからといって古風なわけではない。
サイドスクールの稲妻
『サイドウェイ』離婚歴のある小説家志望の中学教師の再生?アラフォー世代のちょっとした憂鬱と人生を楽しむ処方箋とでもいうような小粋な内容だけど、まったく乗っかれず。中二病的感性を保ったままの主人公を引目で眺めて「大人」になろうねといったところだろうか。しっとりしたいところだけど、軽さの種類が受付なかった。軽やかさを醸し出すために緩めのTVドラマ的なカメラワークが採用されているが、どうもなぁ…。しかし、逆にこれを日本版でやっているとなるとちょっと見てみたい。ワインは飲みたくなった。/『アフタースクール』ミスリードの文法を確立しつつあるんだけどね。これをよくできた仕掛けといっていいものかどうか疑問が残る。/『クリーン』アサイヤスの良さは同時代を感じられること。再生と希望の物語ではあるんだが・・・/『青の稲妻』(2002)訳あって見直す。これがもう9年前。WTO加盟、北京オリンピック開催決定の報道を薄暗い路地に置かれたTVで見守る若者達の姿に、偶然手に入れた1ドル札の価値がわからず、くしゃくしゃになった紙幣を家族に見せびらかす青年の姿。明日をも知れない生活の中で未来だけが迫ってくるその頃の「現在」が詰まった感覚に酔いしれていた過去を思う。原題は『任逍遥』英題は“Unknown Pleasures”だったのね。
白いチャンスの世界
『白いリボン』いつものようにエンターテイメント性と映画芸術との二重底の仕掛けは薄く(あるとしたら犯人捜しというサスペンスだがそこに答えが存在しないことを我々は予め知らされている)ハネケの中でも最も厳格で意地悪な作品といえる。デジタル減色によるモノクロームの「白」はその不自然な白さによって画面を漂っていた。/『チャンス』(原題:Beeing There)たしか3度目。ハル・アシュビー。主人の死を切っ掛けに突然外の世界に出ることになった中年庭師がその純粋さと周囲の勘違いやアクシデントから権力者の目に止まり経済政策に苦悩する大統領に出会い一夜にして謎の有名人へ。という表のストーリーと相まってなんとも不思議な「死」を巡る哲学ムービー。/『天才マックスの世界』なんか以前見たときにはウェス・アンダーソンの名を認識してなくて見てないと思っていたら二度目だった。なんか・・・こう恥ずかしくなる話だな。近年のものよりも好きかも。